kurangmanis’s blog

大好きなマレーシアのこと、水彩画のこと、ゆるーりと書いていきます

必ず希望に変わる。。。

 

kurangmanis.hatenablog.com

続き。。。

中一の娘の担任の先生は、成績が優秀とか、スポーツの試合で優勝したとかそういう子供たちだけを学級新聞?で取り上げる先生では、全くなかった。

クラスで、みんなが帰った後に、教室の掃除をお友達と一緒に楽しんでする子供たちとか。。。そんな中にうちの娘が入っていた。。。家じゃ、お掃除しないのにね😅

先生は、とても子供たちのことをよく見てくださっていた。。。とても恵まれていました💓

後で知ったのですが、日本では、特別支援学級の先生だったそうです。

懇談会で、娘のことを相談すると、親しみをこめて、先生は、子供たちのファーストネームを呼び捨てにするのですが、〇〇は、大丈夫ですよ〜って満面微笑んで、それだけ言ってくださった

確かに、学校では、大丈夫だったみたい。。。

でも、近い将来を予測する、見通すという部分が弱い娘は、塾に行かないことが不安で不安で

たまらなくなってしまったみたいで(中学に上がるとほとんどの生徒が塾に行き出すから)

自分から、どうしても塾に行かせてほしいって懇願して。。。中1の11月ごろから行き始めました。。。最初に行ってたところとは別の塾に。。。

中2になってから、パニックになることが増えて、一度始まると、呼吸困難になるくらい泣き出して、2、3時間止まらない。。。

原因は、不安。。。受験への不安。。。

高校受験に失敗したら、自分は、死んでしまうと本気で思ってました。そんなことは、絶対にない、色んな選択肢があると言っても無駄でした。自傷行為とパニックは、どんどんひどくなって。。。そんな時に、夫の台湾の転勤。。。私は、半年、夫無しで、この状態を過ごさなくてはいけなくて。。。私も、半分おかしくなってました。

幸い、息子は、忘れ物が死ぬほど多い以外は、その当時大きな大変さはなく😅

台湾に母子で追いかけて引っ越しした時も、娘の限りない不安感から、台湾の塾で絶対夏期講習を受けたいということで、それに間に合うよう、予定をずらしました。

そこで、出会った塾の国語の先生兼カウンセラーの方が、懇談で、娘さん、好きで勉強されてませんよね?って何かありますよねって。。。

全部お話しして、それから、必死で日本の児童精神科探しを、というのも、完全予約ばかりで、2、3ヶ月待ちがほとんど。。。大阪の実家から通えるところで、たまたまキャンセルがあって空いたところに中2の春休みやっと行くことができました。。。ウイスク検査を受けて、

思った通りの結果でした。わかってはいたものの、先生のお話しを聞いても、本を読んでも、

これには、算数みたいに答えがない。。。思春期と凹凸を抱えて、心身のバランスを崩し切ってもがき苦しんでいる我が子を見守るしかなかったのです。服薬も始まり、でも。。。

鬱の薬も、眠くなると勉強できなくなって、さらに不安になるからとどうしても飲みたくないと言い張る娘。。。

眠気覚ましにインスタントコーヒー飲みまくる中三の娘。。。全身、自傷行為の傷だらけ

私も薬飲んだり、学校で”ぽこあぽこ”という、発達障害のお母さんの集まりに参加したり

ADHDのお子さんのお母さんと私たちにしかわからない共通の悩みを共有してその時期をやり過ごしていきました。そして、塾の夜のお迎えを夫が仕事ないときは、してくれるようになり

あるとき、私に言いました。私が鬱で、弱り切っていた時に。。。

これ、〇〇から、お母さんには、言わんといてって言われたけど。。。

娘が夫に”ママがあんなに辛そうなのは、私のせいだよね。。。だったら、私は、消えてなくなりたい。。。”って

それが、私をどん底から掬い上げました。。。

私より、娘の方が100倍辛いのに、往復ビンタを自分にして、あかん、頑張らなって

それと。。。

塾の懇談で、カウセラーの先生に言われた言葉が希望になりました

先生に、娘がいない時間は、できるだけ、ホッとできることをして、自分にだけ集中して

娘のことを忘れるようにしてますって言ったら、”お母さん、そんな事出来ないですよ。

片時も、娘さんのこと忘れてなんかいらっしゃいませんよ。”って

あ〜お見通しやな〜

そして、”今まで、娘さんのようなお子さんたくさん見てきました。そうですね、あと5、6年ですかね〜みんな落ち着いていきますね”って

その苦しい渦中にあった時、毎日が地獄で、これが後、5、6年、って思うと私やっていけるのかな〜って絶望に近いくらい落ち込みましたが、同時にいつか終わるんだって希望の光が

見えたんです。。。

ここには、書ききれないた〜くさんの出来事が起こりました。。。

そして、確かに、娘が20歳になった時、まだ、あ〜またパニくってるな〜、

私にその怒りと不安を全身でぶつけてきてるなっていうのは、あるのですが、

一番辛かった時と比べれば、屁でもないやんっていう自分になっているのに気づきました

そして、あ〜あの時、カウンセラ〜さんがおっしゃってた意味がす〜っと理解出来たのです。

 

娘は、今、自宅でゲーム、デザイン?のお仕事をして5年目。。。

去年、彼氏も出来ました💓

先ほども、仕事が終わったら、今日も、家の近くに来て一緒に会うことになったと

私に気遣いながら、ルンルンな目で伝える娘。。。

 

 

今日もありがとう💓